小屋に戻ると辺りは再びガスガスの世界に。
晴れると思っていた人達は皆「予報が外れたなぁ」と言っている。
僕もそのうちの一人だ。
小屋に入ると今日の天気予報が。いやー曇りのち晴れですか・・・ってどこがやねん!!!
小屋にいても退屈なので外に出る。薬師沢方面へと歩けば
可憐なお花が咲いている。ほんと図鑑を買って花の名前を覚えよう!!!
その後も小屋の中に入ったりもう一度テン場の方へ歩いて行ったり自由な時間を過ごす。時折雨が降ったりガスったり天気はめまぐるしく変わる。
ガスの向こうに太陽が現れた。
アップ。ガスに隠されて夏の力強さは全くない。
夕方になり晩飯を食う。今宵の飯はラーメン。酒は昼間に飲んだので夜はやめといた。
ところで今回の山行では耳の不自由な方の3人パーティーがいた。僕と同じく折立から登っていて、途中で休憩されてたところを僕が追い抜かしたんだがその時手話をしていたから「あぁ耳が不自由なんだな」ってわかった。年の頃はうちの親と同じくらいに見えたから60代半ばか。二人が夫婦で男性がもう一人のパーティーだ。 そのご夫婦が小屋でお酒を買おうとしていたんだが
ここはこんな感じで小屋の外から中の人を呼んで注文するタイプ。その時は注文するところに人がいなくて奥さんの方が窓をコンコンして中の人を呼ぼうとしていたんだが忙しい時間でもありなかなか気づいてもらえない。それを見ていた僕は窓を開けて小屋の人を呼ぼうと思ったんだけどなかなか一歩が踏み出せなくてモジモジしていた。そうこうするうちにやっとこさ小屋の人が気づいて出てきたんだが耳が不自由だということがわかっていないのでなかなか注文がうまくいかない。このご夫婦は鏡月を頼みたいのは見ていてわかってたんだがそこも踏み出す一歩の勇気がなくて代わりに頼むことができなかった。最終的にはちゃんと鏡月を買えたんだけど、何にもできなかった僕は本当に情けなくて自分が嫌になってしまった。
その昔こんなことがあった。まだ尼崎の塚口に住んでた頃、伊丹の細い路地を車で走っていた時のこと。目の不自由なおじいちゃんが道の真ん中をふらふらと歩いていた。運転していた僕はクラクションを鳴らすのもはばかられるその状況に「うわっ、どうしよう」となったんだが、横に乗っていた嫁が「車とめてっ!!!」と言うとそっこー車から降りそのじいちゃんのところへ走っていった。そして何か話しかけ、目の不自由な人をエスコートするあの腕を組むやつで道の端へと誘導した。その嫁の姿に「すげぇ!!!」と思うと同時に自分の判断力のなさにほとほと情けなくなった。我が嫁ながら自分が持ち合わせていないあの瞬間的な判断で行動できるところを非常に尊敬した。そんなことを思い出したんだが、あれから10年以上たったというのにあの頃と1ミリも進化していない自分に涙が出そうになった。